農業の手伝いのため、中学校進学を断念
小学校を卒業すると、彼は家の農業を手伝う(麦刈り・脱穀・畑の雑草刈り・薪拾いなど)ため、中学校進学を断念しました。そのため、初等教育しか受けられず、世間では「無学」とみなされて、彼はその後の人生で苦しい思いをするようになります。当時の農作業は、現在の農作業と比べて比較にならないほど過酷な重労働でした。しかも彼の住む山中は、標高平均400~500メートルもある高地帯です。急な坂道を、薪を積んだ重さ数十キロもある背負子(しょいこ)を背負って何度も登ったり下りたりするだけでもかなりの重労働となり、疲労は毎日極限状態にまで達しました。その過酷な労働をしながら「早く死んで楽になって、天国に行きたい…天国でたくさん美味しいものを食べたい…」と願うこともありました。
またこの頃、生後間もなく患った大病の後遺症から「どもり(言葉が円滑に話せない疾病)」にも悩まされ、コミュニケーションがうまく取れず、村の人々や家族からも軽んじられるようになりました。このような彼の疎外感は到底言葉にできるものではなく、誰一人として彼を褒め、彼に希望を与える人はいませんでした。そんな彼にとって、唯一の心の支えとなったのは神様だったのです。
彼は農作業の時はいつも聖書を持ち歩き、仕事の合間にも事あるごとに木の下で祈りました。「神様、みんなは中学に行けるのに、僕は行けません。貧乏で学校も行けず、馬鹿になったら困ります。どうか僕に知恵を下さい。神様、イエス様に学びたいです。必ず教えてください」ふとその木を見ると、アリの群れがエサをせっせと運んでいる姿が目につきました。その姿が重い背負子を背負って働く自分の姿と重なり、何とも惨めな気持ちになりました。「毎日働いてばかりで僕と同じだね。君たちも大変だろ?」
彼は、小学校を卒業しても何も変わらない現実、むしろ悪化していく状況を憂い、環境を激しく呪い、何度も神様に、怒りをぶつけるように、涙ながらに祈りました。「どうして僕はこの山奥を出られずに生きるようになったのでしょう。他の人たちは初めから素晴らしい都会に生まれて、ヘビやいばらだらけの恐ろしい森に住むのではなく、まったく草もなくヘビもいないところで、食べ物を山のように積んでおいて、市場で自由に買って食べて生きているのに…どうして僕は、山に寄りかかって足を伸ばせばアプ山(家の前にある山)に届くほどの、狭くうっとうしいところで生きなければならないのでしょう。こんな空しい人生が永遠に続くなら、いっそ今、死んだほうがましです…ああ神様、イエス様、いらっしゃるのなら、どうして助けてくれないのでしょう…この人生から抜け出せるようにしてください…この願いを、祈りを聞き届けてください…」