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⑨本格的な修道生活

本格的な伝道・修道生活

軍役を終えた翌年、彼が26歳のとき、福音をのべ伝えることが自分自身の使命だと確信し、本格的な伝道・修道生活を始めるようになりました。彼の修道生活について語る時、「伝道(人々に神様の言葉を教え、信仰を勧めること)」を抜きに語ることはできません。彼にとって伝道とは人生の全てであり、最大の生き甲斐でもあります。「食事の問題さえ解決できるならば、一生をかけて伝道に出かけたい」というのが、彼の若い頃からの一貫した願いでした。

family

※洞窟の中で祈る鄭明析牧師

修道生活の合間に彼は、老若男女、田舎も都会も関係なく、福音を伝えに行きました。ある時は、約60キロメートルも離れているチョンジュまで、何度も出かけては夜遅くまで伝道して回り、伝道が終わると、夜が明けるまでには必ず家に戻って、朝から農作業の手伝いをしました。またある時は路線バスの中で入口付近に立って乗客に大声で叫び伝え、またある時は汽車の中を歩きながら伝道しました。しかし当時は口下手で恥ずかしがり屋であったため、なかなか伝道がうまくいかず、失敗の連続でした。

伝道エピソード1

彼が初めて汽車の中で伝道しようとした時のことでした。乗車したのはいいのですが、汽車の中は静まりかえっており、小さな声でも大声に聞こえるほどでした。胸が締め付けられるくらい緊張した彼は、通路を行ったり来たりするものの、恥ずかしさのあまり誰にも声をかけられず、時間だけがむなしく過ぎていきました。

最初の一言がなかなか出ない自分が情けなく、惨めになり、またあまりにも神様に申し訳なくて、汽車の最後尾に行って衝動的に飛び降りそうになりました。しかし「死んでは私が大好きな伝道ができなくなる…今日、私が福音を伝えることで救われる人がいるかもしれない…神様の懐に戻ってくる人がいるかもしれない…」と思いとどまり、なんとその場で乗客と話す練習をし始めました。

しかし結局その日は乗客2人にしか声をかけられず、大胆にのべ伝えられなかった自分自身を激しく責めた彼は、帰宅後すぐに洞窟にこもって、自分の不甲斐なさ、神様に対する申し訳なさに、夜が明けるまで泣き叫びながら祈ったそうです。

伝道エピソード2

ある日、彼はいつもの洞窟で祈っていましたが、気が付けば夜になっていました。「今日は必ず一人は伝道して家に帰ろう!」と決心して、チンサン遊園地付近を歩き回りましたが、夜も更けていたので人がほとんどおらず、数件の屋台があるくらいでした。彼は手持ちのお金がほとんどないにもかかわらず、その屋台の一つに飛び込んで伝道しようとしました。

その屋台は3~4人座れば一杯になるような小さな屋台で、店主は女性でした。店主はお酒を勧めてきましたが、彼はお酒が飲めないので、代わりになけなしのお金をはたいて目玉焼きだけを注文し、店主に神様を信じるように、また教会に行くように勧めました。

店主はその話を聞いて最初は嫌がっていましたが、彼の熱心さに、またその神様の話に心を打たれて「私は数多くの罪を犯してきましたが、私のような者でも神様を信じれば、神様は私を受け入れてくれるのでしょうか…」と本音を打ち明け、店主は感動のあまりに「今日はお代は結構ですから、好きなものを食べていってください」と、屋台のあらゆる種類の料理を出してくれました。しかし、たまたまそれを見かけた教会の信徒から「酒を飲んで女性と戯れている」と誤解を受け、あらぬうわさを立てられたこともありました。

伝道エピソード3

彼は伝道の中で出会う貧しい人や病人、路上生活者たちにも福音を伝え、持っていたなけなしのお金を施し、共に祈ったりもしました。ある雨が降る夜、路傍伝道を終えて徒歩で帰宅の途についていました。途中、前が全く見えない真っ暗闇の道に差し掛かりました。ゆっくりと歩きながら手探りで進んでいましたが、突然、彼の足が何かぐにゃっとしたものを踏んでしまいました。

雨の夜はアオダイショウがよく現れるので、彼は思わず「うわぁっ!」と叫び声をあげて引っくり返り、座り込んでしまいました。うめき声がしたので、驚いてマッチに火をつけて見てみると、その声の主は1人の少年でした。「何でこんな所に人がいるんだ?君は誰?」ひとまず手を掴んで起こしてあげ、事情を聴きました。チンジュから来たという少年は、父親を亡くし、母親には捨てられて、妹と2人で物乞いをしながら生きてきたが、妹は飯炊きとしてどこかの家に引き取られ、少年だけが残され、途方もなくさまよっているうちにここまで来た、と涙を流しながら話しました。少年はまだ15歳でした。

彼は少年の話を聞いている中で、『その聖なるすまいにおられる神は/みなしごの父、やもめの保護者である。(詩篇68章5節)』という聖書の一節が頭に浮び、「ああ、神様が私のもとに送ってくださったのだ」という考えがパッと浮かびました。彼はその少年を家に連れて帰り、体を洗ってあげ自分の服を与え、両親には「ベトナム戦争での戦友の弟だ」と言って、数日間共に過ごしました。その間に、就職先が決まるまで一緒に探して、一人で暮らせるようになるまでお世話をしたのでした。

伝道エピソード4

ある日、彼は2番目の兄に頼まれて、クムサンという地域に住む兄の知人のところへ、干し柿のプレゼントを持っていくことになりました。彼は早速クムサン行き のバスがあるバスターミナルへ向かいました。このターミナルには主にノンサン行き、クムサン行き、チョンジュ行きがあり、多くのバスが行き交っていました。ターミナルに到着してクムサン行きのバスをしばらく待っていたのですが、ふと横を見ると、そのバス停の近くで、女性が弱りはてた風貌で地べたに座っていました。何日もそこに居座っている様子で、道行く人は彼女を避けて歩いていました。

彼は近づいてその女性に「どうかしましたか?」と声をかけましたが、何の反応もありませんでした。しゃがんで彼女の目をのぞき込むと、 悲壮感の漂う虚ろな目をしており、心がとても病んでいるように見えました。他に話をしようとしても会話にならず、彼は困り果てていましたが、手に干し柿があったのを思い出し、彼女に「お腹空いてい ませんか?よかったらどうぞ」と干し柿を差し出しました。彼女はその干し柿を受け取り、おいしそうに食べていました。「お腹が空いていたんですね 、まだありますのでどうぞ食べてください」とあげているうちに全部あげてしまいました。彼女が食べ終わったのを見て、彼は「どうされたんですか?何か病気か精神的な苦痛を受けられたのですか?」と続けて話をしましたが答えはなく、質問の意味さえも伝わっていないようでした。ただ「感謝している」というジェスチャーをしたので、彼はこう彼女に話しました。「この干し柿は、私の兄の知人へのプレゼントとして受け取った高価な干し柿ですが、神様が私に感動を与えて、あなたに差し上げました。私に感謝するのではなく、神様に感謝してください 」と言いました。すると彼女は深くうなずき「神様、感謝します」と初めて口を開きました。

その一言を聞いて彼も驚き、「試しに彼女に御言葉を伝えてみよう」という強い感動が下ったので、その女性に真剣に神様の話をし始めました。内容がきちんと伝わるように大きな声で彼女の反応を見ながらゆっくりと伝えていました。

彼が一生懸命、神様や聖書の話をして2時間ほど経った時、周りが騒々しくなっていたので彼はふと周りを見ました。すると彼の前に、目を疑うような光景が広がっていました。普段、そのバスターミナルには数えるくらいの人しかいないのですが、一体どこからやってきたのか、いつの間にか何十人もの人々で溢れていたのです。そしてその人々が彼を取り囲んで、御言葉に耳を傾けていたのです。中には彼の話を聞いて感銘を受け、涙を流している人もいました。

そこにいた一人の学生が彼に近づき、叫ぶように尋ねてきました。「私たちはどうしたらいいのでしょうか?どうしたら救われますか?私たちの罪を許してください。悔い改めます。どこに行けばいいですか?あなたはどこに住んでいらっしゃいますか?」彼は「私が住んでいるところはチンサンの山奥だから、来られるところではありません。家の近くの教会に通ってください」と伝えました。また御言葉を伝えていた彼女にも「あなたもここから近いチンサンの教会に通ってください」と言ったところ、彼女は「はい、通います」と言いました。

彼は立ち上がって、その場を後にしようとした時、ふとある疑問が湧きました。「そういえば、なぜこんなに人がいるんだろうか…祭りでもないのに…」周りにいる人に事情を聴いてみると、数台のバスは原因不明のエンジン故障のため定刻になっても出発できず、また他のバスでは、彼の御言葉を最後まで聞きたいという数人がバスに乗ろうとせず、出発できない状態だったというのです。

彼はその事情を聴いて驚いたと同時に「ああ、そうか!神様の話を多くの人が聞けるように、神様がバスを止めて多くの人が群がるようにしてくださったのだ。実践してこそ、その上に奇跡を起こして働きかけてくださる神様なんだな」と深く悟り、その御働きに感謝を捧げたのでした。

村人・家族からの軽蔑

彼のこのような信仰生活を、周りの人々はもちろん、家族ですら全く理解できず、村の人たちは彼のことを気違い扱いしました。父親は、彼がそもそも信仰を持っていることに反対し、母親も、そのような信仰生活はやめて農作業に専念してほしいと懇願することも、一度や二度ではありませんでした。しかし彼の伝道の熱は日に日に増し、毎日伝道に出かけることが、人生の全てであり、生き甲斐になっていました。当然、人から受ける迫害や反対もたくさんありましたが、その受けた心の痛みや様々な問題は、時間と共に解決していきました。むしろ迫害を恐れて伝道をやめてしまったならば、彼自身の救いも失っていたことでしょう。農夫が嵐を恐れて種を蒔かないならば、収穫の喜びもまた得ることができません。「全てを神様に委ね、神様を認め、伝道に全ての力を注ぐ」、それが彼の変わらない生き方です。


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