全国的な食糧難の中、チンサン小学校に入学
激しい貧困が続く中、彼はチンサン小学校に入学します。全国的な食糧難はなお続き、通学の行き帰りには様々な木の実、野草、葛の根を掘って食べ、空腹を満たしました。お弁当などは当然持参できるはずもなく、昼食時には少しでも空腹を満たすために水道の水を飲みました。お腹を満たしたその水は学校の運動場にあり、衛生的にもよくない状態であったのは言うまでもありません。
このような過酷な現実の中で、彼は人生について深く考えるようになりました。「こんな先の見えない人生なら生きている意味が無いのではないか。どうしてこんなに貧富の差があるのだろう。神様はどうして人間を創造したのだろうか。貧しい人を見て、神様は心が痛まないのだろうか」と疑問に思っては、まだ知らない神様を求め、もがき苦しむ日が続きました。そのような日々を過ごす中、彼の人生を劇的に変える運命の「出会い」がありました。
運命を変えた「聖書との出会い」
彼が住む山奥に小さな教会が建てられることになり、家ごとに聖書が配られることになったのです。そう、「聖書との出会い」でした。切実に神様を求める中、聖書を開いてみると、そこには「神様から人間に対するメッセージ」があまりにも多く書かれていることに、彼は大きな衝撃を受け、感動のあまり激しく涙を流しました。彼は「聖書に書いてある通りに生きるんだ!貧困からも抜け出せるに違いない!そして神様に会えるかもしれない!」と強く決意し、大人でも読むのが容易ではない聖書を、毎日読み始めます。そうして、9歳の時、本格的に教会に通い始めるようになったのです。
しかし現実を見ると、あまりに困難で過酷な生活のため、人生の問題は日々積み重なっていき、悩みは尽きませんでした。「人生とは何だろう?神様は本当に存在するのだろうか?公平な愛の神様ならば、どうして貧富の差を作って、こんなにも違う生活をするのだろう?天国では美味しいものをいっぱい食べて、楽に暮らせるのだろうか?」と1人で考えては、苦悩、心配、悩み、不安の中で生きるしかありませんでした。彼はひたすら神様にすがるように祈って真理を探し、人生の道を探しました。
苦悩の中にいても、聖書の言葉、神様の言葉を、とにかく少しでも実践しようと、彼は幼いながらも努力します。10歳になったある日、彼の通う小学校で粉ミルクが配給されました。当時、この粉ミルクは1日をしのげる食事に相当しました。この粉ミルクは粉のまま渡してしまうと、売ってお金にしようと不正をする人がいるため、水に溶かして配られました。ほどんどの同級生たちは飢えに苦しんでいたので、われ先にと粉ミルクを口にして、空腹を満たしました。しかし彼は空腹にもかかわらず、その粉ミルクに手をつけずに、担任の先生にこう言いました。「これ、持って帰っちゃだめですか?」担任が、「どこに持っていくんだ?」と聞くと、「これを持っていって、飢えている弟たちに飲ませたいんです」。担任の先生は、それを聞いて大変驚いたといいます。「食欲」というものは人間が生きるための生理的欲求の一つであり、極度の空腹状態であればそれを自制することは大人でも容易ではありません。そんな状況下で10歳の彼が極度な空腹を押し殺して、自分の弟とはいえ人のためにそれを与えるということは通常では考えられないことでした。担任の先生はとても感動し、「まず自分の分を飲みなさい。そうしたら特別に粉をあげよう」と言って、彼が持って帰れる分だけの粉ミルクを持たせてくれたそうです。後に当時の担任の先生はこう語っています。「これは幼い子には本当に考えられないことです。ふつう母親が考えるようなことを、まだ10歳の幼い子供がこのように言うのを見ると、一体どういう教育を受けてきたのか…不思議です。愛と思いやりに満ちた本当に素晴らしい子供だと思いました」
彼は貧困と労苦のため、いつも思い悩みました。これからの人生を考えると、希望もなく、何度も頭が痛くなり、そのたびに高い山に登ってはひざまずき、瞑想し、祈り求めました。時には自分の人生を恨んで、嘆き、叫びながら神様に祈り、人生の虚しさを感じるようになりました。このように、毎日のように祈り、聖書を読むという生活が、彼を信仰面で大きく成長させる機会となりました。教会からの帰り道には、「イエス様がどうして十字架にかけられて死んだのか?どうして死んだのか?死ぬ必要がなかったのに、どうして死なせて死体を信じるようにさせたのか?生きて人を信じさせればいいのに…死なずに御心を成すことができたのに、どうして神様は死なせたのか?」というように、聖書に関する疑問をいつも祈りで投げかけ、より聖書を深く学ぶようになったのです。