刑務所の環境
2009年4月23日、懲役10年の判決が確定し、彼は主に大田刑務所で収監されることになりました。刑務所の中でも様々な収監環境がありましたが、彼は極刑扱いとされたために、死刑囚や終身刑クラスといった凶悪犯が集まる劣悪な環境下へ置かれました。
独房の広さは1.5坪(約5㎡=畳で約3枚分)で、簡易な蛇口とトイレがありました。トイレは仕切りがなく部屋と一緒になっており、旧式の汲み取りタイプのトイレだったため、鼻をつく悪臭が漂っていました。四方を灰色の壁で塞がれ、両隣の囚人の声は筒抜けの状態でお互いに会話ができる状況でした。冷暖房設備などはなく、冬は零度以下の冷たい風が入ってくるため凍りつくような寒さに耐え、夏は扉の隙間から38度の高温の熱気が入ってくるため、灼熱地獄のような暑さに耐えなければならない環境でした。
囚人の中にはこのあまりにも劣悪な環境に耐えられず、精神に異常をきたして突然泣き出す者、発狂して頭を壁に打ち付け暴れだす者、健康を害して病気になって亡くなってしまう者、「どうせ死刑になるのだから…」と自殺する者が後を絶たなかったそうです。ある日、彼の隣の部屋の人が首を吊って自殺したこともありました。
このような環境下に3600日以上住まなければならず、普通の人には平常心を保つことすら難しく、心身共に到底耐えることができないものですが、彼の思考は全く違っていました。彼は「人とほとんど会うことがない環境にむしろ感謝しよう。極的に神様を愛し、祈りと御言葉を受けることに専念しよう。神様に100%投資できる貴重な10年だ」と考えたのです。
独房での彼の1日
彼の1日は午前1時から始まります。睡眠時間は平均3時間。午後10時に消灯して午前1時に起床します。彼は起きたらまず、神様の前に進み出る準備として、水道の蛇口を開けて体と精神を洗い清めます。そして姿勢を正してひざまづいて祈りを捧げます。世界平和、各国の安全や平和、人生や生活に問題を抱えている人、病気の人、貧困や飢えに苦しんでいる人…その祈りの時間は毎日4時間以上にも及び、朝食が出されているのも分からないくらい深い祈りを捧げました。ある時はあまりにも祈ることが多く、いつもどおり午前1時から深い祈りに入り、刑務官が囚人に声をかけて回る午前9時まで、祈りに没頭したときもありました。
祈りの後は、彼の元に毎日300通以上送られてくる全世界の教会の行政・決裁や個人の様々な問題が書かれた手紙を読んで、返答を書き続けました。手紙は日に日に増え、独房の中が手紙が山積みになり、寝る場所さえままならないほどでした。また彼が経験した人生の知恵や祈りの中で受けた神様の啓示を記録し、全世界へ送り続けました。その分量が大変多く、手首や指が痛み、痙攣・麻痺することもしばしばでしたが、それでもボールペンを走らせ続け、時には1日にボールペンを1本使い果たすほどでした。
しかし、さすがに何時間も連続で座っていると体が固まり、筋力も衰えてきます。彼は1、2時間ごとに運動を取り入れ、独房の中でオリジナルの運動・筋トレメニューを実践し続けました。また1日の中で1時間ほど外に出る時間がありましたので、外でも走って身体をほぐして健康管理を徹底しました。
食生活は、上記のように1分1秒という時間を貴重に使うために、食べる時間さえも惜しみ、出された食事をしっかりとることはありませんでした。果物1口だけで1日を過ごしたり、水だけで過ごしたりと、ほとんどの日数を摂食や断食をして過ごしました。そのような食生活にも関わらず、驚くことに体重が減ることはなく、むしろ運動・筋トレを多く取り入れたために、体重が少し増えるようになりました。
しかし、あまりにも長い歳月をこの過酷な環境で過ごさなければならないため、彼は時折、「私は60歳を過ぎている。この厳しい環境の中で健康を維持して生き続けられるだろうか」と思い悩むこともあったそうです。その度に祈りの中で神様が「私と楽しく暮らそう、部屋が狭いから近くで一緒に過ごせるではないか」と話され、それを通して彼は一つの悟りを得るようになりました。それは、どのような環境・状況にいたとしても「神様を迎え入れたその場所が宮殿になり、天国になる」という悟りでした。
このように彼は神様といつも対話しながら、一日を過ごしました。その行動を見ていた刑務官や囚人たちの間で「あの人は気違いで異端だ」「あの人はどこかの凄い指導者に違いない」「彼は人間ではない。神様の人だ」といろんな噂が広まるようになりました。中には外に出る時間や風呂の時間で一緒になるときに、彼に人生を相談する者も現れ、それを通して彼は神様の話、聖書の話をして刑務所の中でも伝道するようになりました。