ベトナム戦争勃発
神様を愛し、神様が望むことを実践する生活を送っていた彼は、信仰も肉体も成長していきました。そんな中、世界情勢が慌ただしくなり、ベトナム戦争がはじまります。ベトナムは、第二次世界大戦後の1945年にフランスから独立しましたが、ソ連(ソビエト連邦。現在のロシア)とアメリカの冷戦のもと、北ベトナム(指導者:ホー・チ・ミン。共産主義。ソ連と中国が支援)と南ベトナム(指導者:ゴ・ディン・ジエム。民主/資本主義。アメリカが支援)に分かれることになります。南ベトナムの一部の人は、アメリカが南ベトナムを半植民地化しようとしていると捉え、ジエム政権の転覆とアメリカの影響力の排除を目的に、南ベトナム解放民族戦線を結成します。これがベトコンと呼ばれ、ゲリラ内戦が始まりました。
1963年、南ベトナムのジエム大統領暗殺事件の後、アメリカは、共産主義が世界に広まることを恐れ、1965年に南ベトナムに軍隊を派遣して、北ベトナムに大規模な爆撃を開始します。そして1966年、本格的にベトナム戦争へと突入していきました。韓国もまた、共産主義の脅威(北朝鮮など)を感じ、アメリカとの関係を強固にしようと、そして貧困の問題や開発途上国であった自国の経済をアメリカからの経済援助(巨額の外貨獲得)によって回復させようと、ベトナム戦争への参加を決定します。
この時、彼は21歳で軍に入隊し、軍事訓練を受けるためにある訓練場に収容されます。訓練場では非常に厳しい扱いを受けるのが一般的で、3日もすれば逃げ出したくなるほどの場所でした。そのような場所で彼は、同僚はもちろんのこと、訓練官・上官とも多くの対話を通して信頼関係を築いていきました。他の同僚が厳しい訓練に悲鳴を上げる中、彼は対話をし、信頼関係を築いたことが精神的に大きな慰めとなり、訓練も苦ではありませんでした。この時、「対話の重要性」を深く悟り、それ以来、積極的に人と対話をすることが習慣となりました。
ベトナム戦争参戦、神様との約束
そのような中、彼が所属していた部隊がベトナム戦争に派遣されることになりました。それを聞いた彼は頭が真っ白になり、神様へ悲痛の祈りを捧げました。「ああ、私はここで死ぬのか…私の夢は壊れました。全国、全世界にイエス様の愛を伝える夢が…願わくば、戦争に行かないようにしてください」。しかし祈りの中で心に「あなたは行くべきだ、私が共にするだろう」という声が聞こえ、神様・イエス様が必ず共にしてくださると固く信じ、決心するようになります。
韓国軍は、青龍部隊(海軍)、猛虎・白馬部隊(陸軍)を編成。彼は白馬部隊の第9歩兵部隊28連隊に配属されました。任務としては、フーイェン省一帯の山岳地帯を基地とするベトコンを見つけ出して倒し、ベトコンの食料調達元となっていた穀倉地帯と、南北交通の要である国道1号線をベトコンから奪還する、というものでした。
白馬部隊は、ベトナムのニャチャンに到着し、そこでまた本格的な訓練を行いました。軍事訓練には、思想教育も伴いました。北朝鮮などの共産主義が韓国にとって敵であり脅威であること、また、「戦場でベトコンを見つけたらすぐさま殺せ」といった教育を受けるようになります。
そんな中、彼は現地にいた海兵隊員から「現地では多くの人が死ぬだろう」と言われます。彼は思わず「神様…私は何もいりません。命だけは助けてください」と祈りました。そのとき空を見上げると、ひときわ青く澄み渡った空が広がっていて、まるで神様の目でもあるかのような感覚にとらわれました。そのとき心の内に「あなたは命を大事に思う人だから、あなたを必ず生きて帰るようにしてあげよう」という声が聞こえました。その声を聞いた彼は、感謝して涙をぽたぽたと流しました。そして彼は神様に一つの約束をしました。「私はこの作戦中は絶対に人を殺しません。相手も私と同じ人間であり、家族もいます。何より神様が創造された人間です。軍事訓練では敵を見つけたらすぐに殺せと教育されましたが、私は人を殺しません。仮に私が殺されても、私は殺しません」。彼はこの約束どおりに実践しました。そして作戦中、彼は誰一人として殺すことはありませんでした。また、他の多くの部隊で数十、数百人の戦死者が出る中、彼が所属する部隊では、戦死者はたった2人しか出ませんでした。