本格的な世界宣教
1992年5月、韓国100都市に教会が設立され、1999年1月には、彼は本格的な世界宣教に出発するようになります。その後、活動拠点を世界各地に置き、ヨーロッパ・アメリカ・アジア各地へ渡り、さまざまな文化と芸術を通して、国際文化交流と平和のための国際行事を開催していきました。
ヨーロッパはキリスト教の国が多い地域ですが、信仰の情熱が冷めている人も少なくありません。また、東洋人である彼が、ヨーロッパの人々とコミュニケーションをとり、信仰について話すのは容易なことではなく、宣教を進める中で、軽蔑されたり差別されることも多々ありました。しかし「一人でも多くの人に神様の愛を伝えたい」という切実な思いで、彼は各国の風習や文化を必死で学び、出会う人一人一人に真心と愛をもって接し続け、共に食事やスポーツをして交流を深めました。
1999年8月に国際文化芸術平和協会GACPを創設。フランス、ドイツ、イタリア、イギリスなどから若者たちが集まって、文化と芸術とスポーツの交流をする平和大会を開催しました。大会に参加した同世代の若者たちは、歴史的にもつれていた各国間の感情が解けて、神様の愛の中で平和を分かち合いました。
【主な大会開催】
1999年8月 フランス・パリ「第1回国際平和サッカー大会」
1999年10月 イタリア・ミラノ「第2回国際平和サッカー大会」
2000年4月 ドイツ・シュツットガルト「第3回国際平和サッカー大会」
2000年9月 イギリス・ロンドン「第4回世界親善サッカー大会」
2001年4月 台湾・台北「第1回アジア平和杯サッカー大会2001」
2001年8月 アメリカ・ハワイ「第5回世界平和交流大会」
2002年8月 韓国・大田「第6回GACPカンファレンス」
2003年8月 カナダ・バンクーバー「第7回GACPカンファレンス」
2003年8月 スペイン・グラナダ「第1回ヨーロッパGACP平和カップ大会」
2004年8月 日本・長野「第8回GACPカンファレンス」 etc…
彼はいつも、競技場ではみんなに水を配り、ボールを拾ってあげ、また怪我人が出ると、直接1人ずつ、自ら真心を込めて治療にあたりました。そんな彼の真心に、参加したヨーロッパの人たちも心を開いていきました。また彼が伝える御言葉に耳を傾け、愛と平和の重要性に共感していきました。このようにして、平和大会を通してヨーロッパの若者たちに新しい認識を植えていったのです。
2001年には、ボランティア活動を行うCGM奉仕団を設立。イエス・キリストの隣人愛の精神を実践しようと、家庭・医療・社会全般にわたる様々な分野で積極的な奉仕活動を行いました。具体的には、自殺防止、施設慰問、無料診療、清掃活動、事故・災害発生時のボランティアなどがあげられます。CGM奉仕団はその活動と奉仕の精神が認められ、さまざまな賞を受賞しています。
同年、彼は、現代医学では治療困難とされる病気(精神疾患等を含む)を約25年間癒してきた功績が認められ、国際代替医療大学医療研究センター(The Open International University for Complementary Medicines:OIUCMED)から博士号を授与されました。この大学では、通常、医学や心理学博士号を既に取得した人にこのような学位や賞を授与しますが、例外を作り、医療および心理学分野における彼の輝かしい業績を称えたのです。
その後も世界各国で教会が設立され、現在では日本・台湾・香港・マレーシア・シンガポール・ベトナム・モンゴル等のアジア、イギリス・ドイツ・フランス等のヨーロッパ、アメリカ・カナダ・ブラジル・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ等に支部があり、約30ヶ国の会員を有しています。
鄭明析牧師がサッカーを始めた経緯
彼が1978年6月1日にソウルへ上京して、本格的に福音を伝えていた時、彼は狭い部屋で昼も夜も休まず御言葉を伝えました。また結核やさまざまな病気を患う人たちのために祈ってあげ、彼らと共に食べ、共に暮らしました。そうしているうちに、彼自身が肺の病にかかってしまいます。医者に診せると、「完全治癒は難しいかもしれない」という診断を受けました。
このような状態で、普通なら安静にして休ませますが、神様は祈りの中で彼に「夜明けの祈りを終えた後、2時間ほど運動するように」とおっしゃいました。その御言葉を聞いて、彼は毎日近くの中学校の運動場で走り、サッカーをするようになりました。次第に体調は良くなり、体力がつき、一日中サッカーをしても息が切れなくなりました。わずか6カ月後には、肺は完全に治癒し、医者を驚かせました。
また祈りの中で神様は「スポーツも芸術だ。サッカーを通して神様に栄光を帰そう」とおっしゃいました。実際に彼自身、1日に6回のサッカーゲームをすることもあり、毎年100~120回もの試合で走って、神様に栄光を帰しました。
彼は、サッカーのためのサッカーをしたのではありません。サッカーを通して、神様の歴史を導く方法と人生を生きる方法を学び、それらを弟子たちに教えたのです。また何よりも「平和サッカー」を強調してきました。相手のチームに勝とうとするより「平和と健康」のために走り、「相手の選手とボールを恋人のように考えること」を教えました。このような精神でサッカーをするならば、「神様の愛を実践して、世の中に平和を成すことができる」と、試合をするごとに全選手に伝え続けたのです。