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⑩ソウル宣教期~激しい迫害

ソウルで本格的な伝道活動

修道生活も約21年を経た頃、祈りの中で「故郷を離れ、ソウルで本格的に福音をのべ伝えなさい」という天からの啓示を受けるようになりました。そして1978年6月1日、住む場所もなく、知り合いもいない中、たった一人でソウルへ上京しました。彼が33歳の時でした。

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※1978年ソウルでの鄭明析牧師

ソウルに到着した彼は、とにかく神様が助けてくださるだろうと信じ、ひたすら路傍伝道をし続けました。家もなく食べる物もなくて、ソウルのサンガク山という山の山奥に分け入ってビニールを張り、毛布一枚を敷いて掛けて寝て、食べられない中で伝道をしました。最初は誰も話を聞こうともせず、ただ時間ばかりが過ぎていきましたが、彼の話を聞いて感動を受ける人が少しずつ現れはじめ、ある人からは「よかったら一緒に食事に行きましょう。食事代は私が払います」と誘いを受けたり、「私の家で、じっくり伝えてほしい」と彼を家に泊めてくれる人も出てきました。

ある時から、彼は近くの祈祷院で生活するようになりました。そこで彼は祈祷院にくる人たちに、祈ってあげたり、悩みを聞いてあげたり、説教を伝えるようになりました。そして皆が帰ると祈りの時間を過ごし、夜が明けると伝道へと出かけました。

毎日10時間以上、神様の愛をのべ伝える

祈祷院には、彼を尋ねてたくさんの病人も訪れましたが、彼が祈って病気が治ったという人が現れ、徐々に地域で評判となり、祈祷依頼が殺到するようになりました。彼は快く承諾し、病人がいる家に訪問しては御言葉を伝え、祈ってあげ、恵みを受けられるようにしながら奉仕を続けました。そして御言葉を聞きたい、祈ってほしい、という人は日に日に増え、訪問での奉仕では限界が生じてきました。そのため彼は、ソウル郊外に古い家を借り、そこで病人を癒し、御言葉を伝え、礼拝を捧げるようになりました。そこは本当に狭い部屋で、最初はほんの数人しかいませんでしたが、半年、1年と伝道を続け、数年後には1日何十人、多いときで何百人と人が押し寄せ、彼は朝から晩まで毎日10時間以上、ひたすら御言葉を伝え、神様の愛、イエス様の愛をのべ伝えました。

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※御言葉を伝える鄭明析牧師

誤解・反感を抱く人たち

彼がこのように実践すればするほど、彼に対してさまざまな評判が立つようになりました。韓国はキリスト教30%、仏教20%というアジアではフィリピンに次ぐ第二のキリスト教国家で、いたるところに教会があります。宗派も多種多様で、宗派間での争いや、商業目的の宗派などさまざまな性格を持つ宗派が存在していました。

そんな状況下で、ひたすら神様のためにおこなっていた彼に対し、誤解や強い反感を抱く人たちも多くいました。

彼は悔しい思いをしながらも、イエス様が生きていた当時、迫害されながらも耐え忍び、むしろ迫害者のために祈られたように、自分も耐え忍び、抵抗することなく、反対する人たちのためにも祈ろうと決心して祈りました。また彼は、「一般の教会のような所ではなく、自然の中に自然そのままに大きい広場くらいの教会を造って使わせてください」と祈るようになりました。

MS宣教会設立、自然聖殿の構想

彼はソウルのサンガク山から、チョンノ、ヘンダンドンに行って福音を伝え、その後、ソンブク、ナムガジャドンに行って教会をつくり、その次にシンチョン、サムソンギョに行って福音を伝えました。多くの人がその福音に感動し集まってくるようになり、3年後の1981年にはMS宣教会(現キリスト教福音宣教会)を設立しました。

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※MS宣教会

年を追うごとに多くの人が集まってきたため、韓国の各地域、各都市に教会を作りました。また彼は1983年、ウェズリー神学校に入学、クリスチャン・ゴスペル・ミッション(CGM)の構造をより詳細に整理しました。

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※ウェズリー神学校の牧師

彼がナムガジャドンにいる時、ある日の祈りの中で、彼の生まれ故郷である、ウォルミョンドン(月明洞)という大自然の環境を、そのまま教会として利用するという、世界初の自然教会「自然聖殿」の構想を神様から受けるようになります。そしてサムソンギョの教会で活動していた時、福音を伝える傍ら、弟子たちと一緒に故郷ウォルミョンドン(月明洞)に行き来して、聖殿開発にも着手するようになりました。


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