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Pastor Jung Myung Seok

His life

ただひたすら神様

鄭明析牧師の人生を表すならば、「ただひたすら神様」の一言に尽きます。韓国が朝鮮戦争による極度の貧困と飢餓の状況にある中、彼は9歳のとき聖書に出会いました。貧困ゆえに小学校しか卒業できず、昼は両親の農作業を手伝い、夜は山や洞窟にこもって明け方まで聖書を読み、祈る、という修道生活を続けました。そんな彼の姿を理解できない親兄弟や村の人々から「彼は気が狂った」と揶揄されながらも、ひたすら神様の愛に挑戦し続けたその生活は、気がつけば21年が経過し、真理を求めて読み続けた聖書は通読2,000回以上に至りました。イエス様をひたすら愛して神様の愛を深く悟った彼は、神様が好むことをただ行なって生きようと決心し、町へ出かけては老若男女問わず福音をのべ伝え、病人や貧しい人に着物や食べ物を分けてあげ、神様の愛を実践していったのです。

 

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ベトナム戦争には2度参戦しました。死と隣り合わせの戦場で、聖書を常に持ち歩き、人に向けて銃を撃つことはなく捕虜として生かし、たった1人の命も奪うことなくひたすら神様の愛を実践し続けました。ベトナム戦争帰国後は、戦争で得た報酬を全額故郷の教会に寄付し、教会再建のために尽力します。

 

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そして1978年、祈りの中で「故郷を離れ、ソウルで本格的に福音をのべ伝えなさい」という天からの啓示を受け、ソウルへ上京。たった一人で福音を伝え始めます。初めのうちは、彼の話に耳を傾ける人はほとんどいませんでしたが、半年、1年と伝道を続け、数年後には1日何十人、多いときで何百人と人が押し寄せ、日々10時間以上の説教を伝え続けました。その後、祈る中で、彼の生まれ故郷である月明洞(ウォルミョンドン)の環境をそのまま教会にするという構想が、天から与えられるようになりました。雄壮な大自然の環境を活用し、世界初の自然教会である「自然聖殿」を建設することになったのです。彼は福音を伝える傍ら、弟子たちと一緒に聖殿を開発し、現在に至るまで続けられています。

 

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自然聖殿の美しく神秘的で雄大な佇まいに多くの人々が魅了され、今では年間100万人が訪問する一大名所となりました。彼がこれまで歩んできた路程―ただひたすら神様を思うその歩みに、多くの方々が触れてくださると幸いです。

PICK UP

ベトナム戦争~上官による本の出版、勲章授与

ベトナム戦争には2度参戦。死と隣り合わせの中、戦場で常に聖書を持ち歩きます。殺さなければ殺される状況の中でも、彼は敵を一人も殺さず、いかに人を生かせるかを考え神様に祈り求めました。神様の言葉を戦場で実践したのです。こうした彼の行いに強く感動した当時の上官は、後に、彼を題材とした本『ベトナムの戦場で出会った神様の人』(2010年、タビッ出版社)を執筆、出版しています。→詳細はこちら

 

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また作戦での功績が高く評価され、陸軍参謀総長から戦功表彰状を、戦後には花郎勲章と仁憲勲章を授与されました。

毎日10時間以上、神様の愛をのべ伝える

ソウルに到着した彼は、とにかく神様が助けてくださるだろうと信じ、ひたすら路傍伝道をし続けました。家もなく食べる物もなくて、ソウルのサンガク山という山の山奥に分け入ってビニールを張り、毛布一枚を敷いて掛けて寝て、食べられない中で伝道をしました。病人がいる家に訪問しては御言葉を伝え、祈ってあげ、恵みを受けられるようにしながら奉仕を続けました。

 

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御言葉を聞きたい、祈ってほしい、という人が日に日に増え、訪問での奉仕では限界が生じてきので、ソウル郊外に古い家を借り、そこで病人を癒し、毎日10時間以上、ひたすら御言葉を伝え、神様の愛、イエス様の愛をのべ伝えました(ソウル宣教期より)→詳細はこちら

韓国を代表する詩人「鄭明析」

彼は牧師として宣教活動をする傍ら、芸術活動も活発に行っています。その中でも韓国文学における「詩」の分野で、神様から霊感を受けて執筆した詩を次々と発表、 その詩の霊妙さ、神秘さが多くの人の心を打ち、韓国詩文学界の注目を浴びるようになりました。→詩人・鄭明析サイト

 

1989年、詩集『霊感の詩』でベストセラーを記録 、1995年には月刊「文芸思潮」 を通して文壇に登場し 、絶え間なく浮かんでくる“霊感の詩”を発表し続け、その数は3000編に及びました。その才能と業績が評価され、韓国を代表する詩人として「韓国100年史詩人」に公式登載されました。

 

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2013年、彼は高麗大学放送とソウル教育放送が共催で毎年開催している「 最も美しい人」にノミネートされ、ソウル文学賞を受賞しました。同ノミネート者には他に、元国連事務総長の潘基文氏や女優の崔志宇(チェ・ジウ) 氏らがいます。

 

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世界で称賛された絵画作品

ただひたすた神様だけを思い創作する彼の作品は、絵画にも及びます。画家としての顔をも持つ彼の作風は霊妙であり、且つ神秘的。神様の御言葉を絵にしたメッセージ性のあるもの、五感に響くものなど、見る人に様々に語りかけてきます。2011年にアルゼンチンで開催された『世界アートフェア』では、彼の作品「運命」を出展、世界的に有名な3000人余りの画家の中から代表作家として選定され、各国の新聞や雑誌など各メディアを通して紹介されました。

 

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日本統治解放の1945年、3月に三男として生まれる 鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師は、韓国が日本の統治から開放された1945年、その年の3月16日に忠清南道錦山郡珍山面石幕里タルバッコル(現、月明洞)で、6男1女の三男 […]... 続きを読む

全国的な食糧難の中、チンサン小学校に入学 激しい貧困が続く中、彼はチンサン小学校に入学します。全国的な食糧難はなお続き、通学の行き帰りには様々な木の実、野草、葛の根を掘って食べ、空腹を満たしました。... 続きを読む

農業の手伝いのため、中学校進学を断念 小学校を卒業すると、彼は家の農業を手伝う(麦刈り・脱穀・畑の雑草刈り・薪拾いなど)ため、中学校進学を断念しました。そのため、初等教育しか受けられず、世間では「無学」とみなされて、彼は […]... 続きを読む

山や洞窟で祈る日々 彼は家の農業を手伝いながらも、夜になると金鉱跡の洞窟の中で聖書を読み、祈りを捧げ、時には朝になっても家に戻らず一日中洞窟にこもって祈り続け、また時には近隣のテドゥン山に登り、マイナス15度以下になる冬 […]... 続きを読む

ベトナム戦争勃発 神様を愛し、神様が望むことを実践する生活を送っていた彼は、信仰も肉体も成長していきました。そんな中、世界情勢が慌ただしくなり、ベトナム戦争がはじまります。... 続きを読む

オジャッキョ作戦 ベトナム戦争での作戦が本格的に始まり、彼も参加するようになりました。最初に参加した作戦はオジャッキョ作戦というものでした。... 続きを読む

韓国へ帰国、将軍から戦功表彰状を授与 1967年9月、彼はベトナムでの任務を終えて、韓国に帰国するようになりました。帰国前日は、こうして生きて帰れること、作戦中に命を守ってくださったことをただ神様に感謝し、ひたすら賛美と […]... 続きを読む

部隊の韓国帰国、神様からの祝福 彼の部隊が帰国することになり、帰国までの15日間、兵士たちの心は踊り、喜びに満ちていました。皆は、当時としては非常に高価だったテレビ・録音機などを買って帰国の準備をし、祖国の懐に抱かれるこ […]... 続きを読む

本格的な伝道・修道生活 軍役を終えた翌年、彼が26歳のとき、福音をのべ伝えることが自分自身の使命だと確信し、本格的な伝道・修道生活を始めるようになりました。... 続きを読む

ソウルで本格的な伝道活動 修道生活も約21年を経た頃、祈りの中で「故郷を離れ、ソウルで本格的に福音をのべ伝えなさい」という天からの啓示を受けるようになりました。そして1978年6月1日、住む場所もなく、知り合いもいない中 […]... 続きを読む

本格的な世界宣教 1992年5月、韓国100都市に教会が設立され、1999年1月には、彼は本格的な世界宣教に出発するようになります。その後、活動拠点を世界各地に置き、ヨーロッパ・アメリカ・アジア各地へ渡り、さまざまな文化 […]... 続きを読む

反対者の捏造と情報操作 世界宣教が進むにつれ、新しい御言葉を聞いて感動した世界中の人々が彼のもとに集まるようになりました。その数は数十万人にのぼりました。... 続きを読む

岩を縦に置くという、驚きの構想 月明洞(ウォルミョンドン)自然聖殿は、1989年から開発されるようになりました。彼は最初、生家の南側すぐ目の前にある高さ150メートルの前山の斜面に「セメントの階段」を作って、そこに人がた […]... 続きを読む